イタリアの歴史的カフェ


イタリアにはカフェとバールという言葉があり、コーヒーを飲みに行く店はバールと呼ばれています。バールではパンやサンドイッチ、デザートの並んだショーケースのあるカウンターで立ち飲みするのが一般的。イタリア人にとって質の良いコーヒーとバールは非常に重要で、彼らはレストランでは食後のコーヒーを注文しないようです。というのもレストランだとあまり美味しくない上に値段も高いから。それよりは店を変えてこだわりあるバールで立ち飲みするのがいいんだそう。イタリアの数々の広場に並ぶオープンカフェは、よく見るとレストランであることが多いですが、飲み物だけの注文も可能。朝食から夕飯前のアペリティーボ、深夜のカクテルまで楽しめます。ここでは歴史的なカフェをご紹介します。


Caffè Florian

カフェ・フローリアン、ヴェネツィア


ヴェネチアのサン・マルコ広場にあるカフェ、フローリアンは現存するヨーロッパ最古のカフェ。訪れてみると意外にもカフェは小さく、店内のスペースも限られています。とはいえ、このそんな小さなカフェは華やかな歴史に彩られているのです。もしここにフローリアンがなかったら?サン・マルコ広場が今ほど賑わっていることもなかったでしょう。フローリアンは長い年月の間、ヴェネチア住民の生活の中心点でした。1720年にフロリアーノ・フランチェスコーニが開店したこの店はもともと「勝利するヴェネチア」という名で、これほど長続きしたカフェは存在しませんでした。ここでは取引が行われ、経済状態が議論され、弁護士が依頼人を迎えていました。職人も貴族も女性たちもやってきました。特に暖房設備が家になかったころは冬になるとこぞって人がやって来たのです。バルザックは「『フローリアン』は株の取引所であるとともに劇場のロビー、読書室、クラブ、それに告解の場所でもある。そこはあらゆる日常の用件を片付けるのに本当にもってこいのところで、いく人かのヴェニスのおかみさんたちは、自分の亭主が日頃どういう働きぶりをしているのか、なんにも知らないぐらいなのだ。というのもこの亭主どもは、手紙を書こうと思っただけでもうこのカフェへいってしまうのだから。」と述べています。
 フローリアンは地元住民だけでなく、現在に至るまで数多くの外国人にも愛されてきたお店。ヴェネチアに17ヶ月間滞在していた哲学者のジャン=ジャック・ルソーも、小説家のジョルジュ・サンドと恋人のアルフレッド・ミュセ、ドイツ人哲学者のショーペンハウアー、イギリスの芸術批評家、ジョン・ラスキンもこの店を訪れました。世界一美しい広場、サン・マルコ広場にサン・マルコ寺院がなくてはならないように、この広場に付随する生演奏付きのカフェの存在は欠かせないのです。その中でもダントツに歴史があり、常に真っ先に言及されるのがフローリアン。『ヨーロッパのカフェ文化』を記したクラウス・ティーレ=ドールマンはフローリアンの姿をこう語る。
「いわばヴェニスの公共施設とでもいうべき〈フローリアン〉の前を素通りする者などだれもいない。地元の人間でも外国の旅行者でも。少なくとも一日に一度はそこへ出かけていって、大理石の小さなテーブルにつき、黒い飲み物をちびりちびりやりながらクロワッサンやクッキーを少し、あるいは〈フローリアン〉特製のチーズ入りパイを食べ、隣の人とおしゃべりをしたり、入り口の横にある新聞掛けに掛けてある各国の新聞を一部手にとったりするのだ。そしてそのあいだに、ノスタルジーに耽りながら、あるいはいかにも観光客らしい好奇の眼差しで擬古的な壁画を眺めたり、またそれにふさわしい控えめな態度で、小部屋に集まったり、外のドアの前で鳩や人びとが群れ集うサン・マルコ広場、ナポレオンが「世界でもっとも美しいサロン」と呼んだこの広場を見やっているほかの客たちを観察するのである。
 5月から10月までのあいだ、たいていの客たちは一日中屋外で、アーケードの下にある革張りの椅子やサン・マルコ広場にまで出ている金属製の小さな椅子に腰を下ろす。ボーイたちが手慣れた身のこなしで注文をとり、給仕し、お金を集めているあいだ、客は多かれすくなかれ感激しながらカフェの小さなオーケストラに耳を傾ける。このオーケストラはシュトラウスのワルツからアルゼンチン・タンゴ、はては『ストレンジャーズ・イン・ザ・ナイト』にいたるまでじつに多種多様な世界各国の娯楽音楽をレパートリーとしており、広場の反対側にいるオーケストラとエレガントな競争をくり広げるのだ。少したつだけでもう、コーヒーを飲んでいる人びとの中に、刺激的でありながらも居心地の良い気分が生まれてくる。」(『ヨーロッパのカフェ文化』p.44) 
 これほどまでにサン・マルコ広場のカフェをうまくいい表した言葉は他にないでしょう。ヴェネチアの歴史を見守ってきたこのカフェは、一見の観光客をも包み込む独特な雰囲気を今でも持っているのです。もしヴェネチアで1軒しかカフェに行く時間がないのなら、フローリアンの店内からサン・マルコ広場を眺めるのがおすすめです。工事中でなければ基本的には店内から広場が一望できるはずで、自分は安全なところにいながらも街ゆく人を心ゆくまで眺めていられる楽しみを存分に味わうことができるはず。窓のない店内には生演奏も聞こえてくるでしょう。
 フローリアンは高級で、カプチーノが一杯10ユーロ程度。それにプラスして一人当たり6ユーロの音楽チャージが加算されます(子供は除く)。その値段を知った客たちの半分くらいは席を立ち、ほかの店を探そうと試みます。ところが実際にはサン・マルコ広場のカフェはどこも値段はそう変わらないのです。四角い広場の中で生演奏をするカフェは世界に3軒しか存在しません。そして生演奏は一方が休憩に入るときに他方の演奏がいいタイミングで始まります。どちらも競争相手ではあるものの、客たちはその相乗効果を楽しむことができ、一度席についてしまえば演奏が完全に途絶える時間は数分で、あとは生演奏に耳を傾けながら世界一美しい広場とサン・マルコ寺院の絶妙なバランスを眺めつつ、お酒でもカプチーノでもアイスクリームでも心ゆくまで楽しむことができるのです。フローリアンのカプチーノは絶品で、このために訪れる価値もあり。
 「〈フローリアン〉が水の都にあるほかの多くの店よりも高いというわけではないのだけれど、ここではある程度大枚をはたかなければならない。しかしたいていの旅行者はときがたつにつれ、高い値段はこの街へのある種の入場料なのだという考えになじんでしまったようだ。たいていは文句を言わずに金を払い、教会や美術館にあるティッツイアーノやティントレットやカルパッチョの作品であれ、またたえず姿を見せている芸術やメディア関係の名士たち、自分が訪れることで逸話が生まれる可能性があり、その分〈フローリアン〉を豊かにする名士たちであれ、そのようなものを見て楽しんだのでもとはとれたと思っている。」(『ヨーロッパのカフェ文化』p.48)そう、フローリアンのコーヒー代は、世界でここでしか味わえない幸福な時間を噛み締め、これからの人生に思いをはせる時間のための入場料なのです。

 

 Piazza San Marco, 57, 30124 Venezia VE
フローリアンの向かいのカフェでの生演奏 夜が更けるほどに盛り上がる
フローリアンの向かいのカフェでの生演奏 夜が更けるほどに盛り上がる

Gran Caffè Lavena

グラン・カフェ・ラヴェーナ、ヴェネチア


 サン・マルコ広場の中には生演奏を行っている3軒の歴史的カフェがあり、その中でも一番感じが良くておすすめなのがこちらのお店。どこも値段は非常に高く、1人18ユーロ程度かかるとはいえ、こちらは生演奏の質も良く、テラスから見えるサンマルコ寺院が夕暮れ時に光輝く姿が思わずため息が漏れる美しさ。店員さんも3軒の中では一番感じが良く、ちょっとでも振り向くとすぐ対応してくれる。ラヴェーナは1750年にオープンし、1860年にカルロ・ラヴェーナ氏が買いとって現在の名前に。その頃から生演奏を売りにした優雅なカフェだったといいます。1882年から1年ほど、ワーグナーがこの店を愛し、夕方になると毎日紅茶やコニャックを飲んでいたそうです。

 

 世界一値段が高いといえるサンマルコ広場のカフェのテラスに座り、メニューをしばらく眺めた後で席を立つ客は何人も。店員さんたちは「いつものことだ」という目で彼らを諦めたように眺めています。しかしこんなにも高級なのには実は理由があるのです。店員さんによれば、サン・マルコ広場のカフェは、昔からテラスに日除けのひさしを出すことと、フォークとナイフを使って食べる食事の提供をすることが許されていないのだそう。イタリアの通常のカフェテラスではどこも大きなひさしがあり、ラザニアやピザを出して儲けていますが、ここではそれが許されません。悲しいかな、観光客で大にぎわいのサン・マルコ広場の真夏の昼のテラスには、直射日光がきつすぎて誰も座らないのです。ここが賑わうのはいつも夕方になってから。そしてエイっと20ユーロ払ってみると、(特にお酒の場合)おつまみの量が半端なく、追加料金をとられることもありません。もう夕飯はいらないというほどお腹いっぱいになり、生演奏を楽しみながら美しいサン・マルコ広場をゆっくりと眺めていられるます。世界に唯一な場所でこの幸せな時間を買えるのであれば20ユーロは高くないのでは?せっかくだから一度はサン・マルコ広場のカフェテラスに座ってみたいという方には夕暮れ時のラヴェーナのテラスがおすすめです。

Piazza San Marco, 133-134  30124 Venezia


Sant'Eustachio il caffè

サンテ・ウスタキオ、ローマ


ローマの老舗カフェ、サンテ・ウスタキオは、1938年にコーヒー豆の焙煎所として創業した、ローマの地元の人たちの行きつけの店。信じられないほど分厚いクレマとすでに砂糖の入っためちゃくちゃ旨いエスプレッソ。ただこの店に行くためだけに飛行機に乗りたいくらい最高に美味しいエスプレッソが味わえます。フェアトレードの豆と有機栽培のアラビカ種の豆だけを使用。ここで販売しているコーヒー飴の缶には「人生はまずいコーヒーを飲むには短すぎる」との一言。まさにその通りだけれど、本当に美味しいコーヒー屋に出会うのは運命の恋人に巡りあうくらい難しい。こんな店が近くにあるなんて、ローマの人たちが本当に羨ましい。ローマのパンテオン付近。

Sant'Eustachio Il Caffè, Piazza Sant'Eustachio n82  00186 Roma

 


Caffè Greco

カフェ・グレコ、ローマ


 「ローマの休日」で世界的に有名なスペイン広場の階段を降り、目の前のヴィア・コンドッティ通りを進んでいくと、イタリアの文学カフェとして真っ先に名前が挙がるカフェ・グレコに出会います。落ち着いた印象の店の扉を開けると、右手にはバーマンが忙しく仕事をし、立ち飲みできるカウンターが。細長い廊下の先にはいくつもの空間が広がっています。この店は1760年頃、ギリシア出身のニコラ・ディ・マッダレーナがオープンし、現在まで続いている老舗のカフェ。歴史としてはベネチアのフローリアンの次に長いそう。重厚感ある店内に飾られている多くの絵画は60年代に装飾されたもの。1680年代のスペイン広場付近には様々なカフェがあり、その頃すでに「真のローマの文化的中心地はスペイン広場周辺にあるいくつかのカフェである」と言及されていました。
 カフェ・グレコを世界的に有名にしたのはイタリア人ではなく、ローマに強い憧れを抱いていたドイツ人芸術家たち。実はいつの時代も世界各地でドイツ人たちはカフェ文化、サードプレイスの発展に深く貢献しているのです。フランス人より先にモンパルナスのカフェを占拠しはじめたのもドイツ人や中欧出身の芸術家。アメリカのサードプレイスの原型となったのも、移住したドイツ人たちがビールを楽しむために作った集いの場でした。ゲーテが生きていた頃、ドイツの芸術家たちの間では、ローマに対する熱狂が激しくなり、ゲーテは手紙の中でローマに対する想いを以下のように述べています。
 「というわけで明日の夜はローマだ。ぼくはそれがいまもまだほとんど信じられない。この願いがかなったなら、ぼくはそのあといったいなにを望めばいいんだろう・・・・」ゲーテは1人で決心した。「この中心点を訪れることを。あらがいがたい欲求がぼくをそこへ引き寄せたのだ。そうだ、ここ何年かそれは一種の病気のようなものになり、それを癒すことができるのは、この地を実際に眺め、この地に身を置くことだけだったんだ。いまでこそ白状できるが、ついには一冊のラテン語の本も、イタリアの風景を描いた一枚の絵も、もはや眺めることができなくなってしまったんだ。この国を見たいという欲求は熟しすぎていた。(※1)」そしてすでに著名であった身分を隠してローマに渡ったゲーテは、偽名を使いながらもスペイン広場のカフェ・グレコを訪れたのです。
 ローマに渡った芸術家たちは日中は遺跡や教会、アーティストのアトリエなどを訪ね、見聞を広げながらも、黄昏時になるとカフェ・グレコへと戻っていきました。というのもゲーテによれば「自然や芸術が美しいものであるにせよ、しかし調和のとれた思想の交換、これ以上に高いものはないからだ。(・・・)これによってはじめて、ぼんやりとした感情がことばになり、意識化される(※2)」からです。カフェ・グレコは外国人芸術家たちで賑わいました。彼らはこのカフェで誰かと出会い、見聞きしたことに対して意見交換するのを楽しみにしてやって来たのです。カール・フィリップ・モーリッツは以下のように述べています。「この地の外国人たちはみな活発にまじわりあっている。(・・・)というのもみなが、ここでの滞在のひとつひとつの瞬間をおのれをより完全なものにするために利用し、芸術における偉大なもの、美しいものにたいする自分の感覚を高め、繊細にするといういわば社会的目標によって結び合わされているからだ。社交上の歓談や会話の大部分はこのことにかんするものだ。(※3)」
 ゲーテのように芸術に携わる者は、ヨーロッパの芸術の起源を求めてローマへの憧れをつのらせました。とくにゲーテのイタリア滞在後、イタリア旅行は「グランド・ツアー」と呼ばれ、ドイツ人だけでなく、ヨーロッパ全体の知識人や芸術家たちにとって必要不可欠な旅となっていきます。その際にローマで彼らが落ち合うことになった場所、それがカフェ・グレコだったのです。スペイン広場周辺には他にもカフェがあったとはいえ、ここが特にドイツ人芸術家に選ばれたのは、コーヒーが美味しかっただけでなく、喫煙可という理由も重要でした。このカフェは煙のたちこめるカフェで、他の店は禁煙や分煙だったのです。ここはあまりに煙がたちこめていて、誰が誰かもよく見分けられないほどでした。ローマからドイツに帰国した芸術家たちはその後ナザレ派という芸術運動の中心人物になっていきます。カフェ・グレコはその後もドイツ人だけでなく世界中の芸術家たちのローマ滞在の拠点として、スタンダールやコローはじめ、様々な芸術家を受け入れました。19世紀後半のガイドブックにも、世界中からの芸術家がローマに来て集う店として紹介され、パスカレーラという人物は「誇張なしに、1870年までローマにおける国際的な芸術家の集いといえばカフェ・グレコだった」と述べています。
 現在は観光客向けの店だと思われがちですが、それでも奥の部屋へ行けば行くほど独特の重厚感ある雰囲気が残っています。飲み物の値段は他店に比べて倍近いものの、非常に静かで落ち着いており、いくらゆっくりしていても大丈夫そう。美術館や教会を鑑賞した後、かつての芸術家たちに想いをはせたい気持ちになったら、足を伸ばしてみては?このカフェにまだ宿る独特の雰囲気がインスピレーションを与えてくれるかもしれません。ちなみにこの店にはイタリアには珍しいアイスカフェラテもあっておすすめです。

 

Via dei Condotti, 86, 00187 Roma RM
※1 クラウス・ティーレ=ドールマン『ヨーロッパのカフェ文化』p.238
※2 前掲書p.242
※2 前掲書p.243