パリに初めてカフェができたのはフランス革命より前のこと。サン=ジェルマン・デ・プレ周辺で何人かがオリエント風のカフェを作っては失敗し、初めて成功したといわれるのがプロコープで、1686年にイタリア人のフランチェスコ・プロコピオが開いたフランス風のカフェ。プロコピオは商才に長けた人物で、フランスで初めてカフェを成功させただけでなく、故郷のシシリアからうっとりするような香りのアイスクリームを仕入れ、パリでアイスクリームを広めたのも彼。お店が上流階級に受け入れられるよう、シャンデリアや鏡、大理石のテーブルなどを使用し、上質な空間でのきちんとしたもてなしを大切にしていました。そして、この様式はパリのカフェのスタイルとして定着していきます。プロコピオはお客さんを喜ばせるためのアイデアを次々と考えだし、確実な成功を手に入れた人なのです。
1789年のフランス革命も、カフェとの関係が深いもの。特に革命に関する議論が活発だったのはパレ・ロワイヤルにあったカフェ。今でこそパレ・ロワイヤルの中にはほとんどカフェがありませんが、当時の回廊内はほとんどがカフェだったそう。この頃はまだ文字を読める人が限られていたために、新聞に書かれたことを大声で読み上げて解説する者がいて、その後は議論になったそう。
1881年には伝説的なカフェ、シャノワールがモンマルトルに開店。翌年創刊されて13年間続いた同名の新聞には才能あふれるイラストレーターが表紙を描き、彼らの名もまた有名になっていきました。こうして当時まだ郊外で田舎らしい雰囲気が強く残っていたモンマルトルの丘に、次第に芸術家が集まり始めます。芸術家を好んだ主人のいた酒場、ラパン・アジルや、芸術家用のアトリエ兼住宅だった「洗濯船」もあり、スペインからやって来たピカソをはじめ、ヴラマンク、モディリアーニなど、沢山の若き芸術家がモンマルトルに出入りし、モンマルトルの黄金時代となるのが1900年代初頭までのこと。
1905年、当時著名だった詩人のポール・フォールは、パリの南のモンパルナスのカフェ、クローズリー・デ・リラで詩の集いを始めます。この集いにはパリの詩人や作家だけでなく、世界中から作家や音楽家までもが集まったそう。この集いに非常に刺激を受けた若きピカソはそれ以降、モンパルナスとモンマルトルの往復を繰り返すようになるのです。
1930年代からはドームやクーポールの時代。ドームには彫刻家のザッキンや若き日のボーヴォワールなどが足しげく通っています。ボーヴォワールは一冊の小説の舞台にドームを使っているほど。まだ有名になる以前、なんとかして作家になりたいと望んでいた彼女は執筆の苦労をこう語っています。 「彼らの囁き声は私の邪魔にならなかった。白い紙を前にした孤独はきびしいものだ。わたしは目を上げ、人びとの存在を確かめる。それは私に、いつか、誰かの心に触れるかもしれない言葉を書き綴る勇気を与えた。」(ボーヴォワール『女ざかり(上)』)
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