1冊目の本を書き終えてから子供が生まれ、京都郊外で専業主婦をしながら感じた孤独。子供もいて幸せそうに見えるのに?この得体の知れない孤独はどこからくるのだろうと思っていた時、レイ・オルデンバーグの"The Great Good Place"(当時未邦訳だった『サードプレイス』の原書)に出会い、衝撃を受けました。というのも、アメリカ郊外で専業主婦たちが感じていた孤独と私の現状がまさに同じだったから。
彼はこの本の中で、サードプレイスの重要性について語る前にインフォーマル・パブリック・ライフの重要性についてとうとうと語っています。家と職場だけでなく、公共の場所でリラックスし、息抜きし、友人や知人と落ち合えることでこそ、人は人らしく生きられるはずなのだ、と。
そしてインフォーマル・パブリック・ライフの中核となる場がサードプレイスなのです。私は必死になって辞書を引きながらこの本を読み、インフォーマル・パブリック・ライフの研究をすることに決めました。当時の私のようにお金もなく、小さな子連れでは頻繁にカフェには行けません。それに対して、インフォーマル・パブリック・ライフは誰にでも開かれた空間であり、まさに当時の私の人生に欠けていた空間だったのです。また、当時の私が希求していたパリにはインフォーマル・パブリック・ライフが溢れていました。
あれから10年たった今、インフォーマル・パブリック・ライフこそが21世紀型の街の発展の鍵だと私は確信しています。ではそれは何故なのか?どうすればそれを生み出すことができるのか?そこでオープンカフェが果たす重要な役割とは?そして何故郊外には悲しいほどインフォーマル・パブリック・ライフが欠けているのか?真の21世紀のあり方を考えるためには20世紀のパラダイムに向き合う必要があり、そこを見つめると産業革命真っ只中の19世紀イギリスに原点があるとわかります。格差社会、生きにくさ、理想の押しつけ・・・それらは実は今に始まったことではなく、大抵が19世紀イギリス発祥であり、20世紀アメリカの郊外で育まれてきたものなのです。
人がもっとリラックスして自分らしく生きられる街を増やすにはどうしたらいいのでしょうか。少なくともオープンカフェはそのために重大な役割を担っています。郊外の苦しい経験からはじまった問題意識と、長年積み重ねた研究が、どなたかの役に立ち、少しでも生きやすい街が世界に増えることを願っています。セミナー等も開催可能ですので、ご興味があればお気軽にご連絡ください。
21世紀の街づくりのキーポイントであり、成功するまちに共通してるインフォーマル・パブリック・ライフとは?その原点を探るとフランスやイタリアに行き着きます。ではなぜインフォーマル・パブリック・ライフがあることが社会にとって重要なのでしょうか。
インフォーマル・パブリック・ライフは、実は経済成長する都市においても非常に重要な役割を果たしています。なぜなら、経済を引っ張るのはオフィスビルではなく、そこで働く優秀な人やクリエイティブな人たちだからです。では彼らは街に何を望んでいるのか?そして次世代を担う鍵となる女性が街に望んでいるものとは何かを探ることが、人を惹きつけ、定着させる街づくりの重要なポイントです。
21世紀の理想の街、インフォーマル・パブリック・ライフや公共の領域が充実した街の対局にあるのが20世紀に世界中の理想となったアメリカ型郊外です。郊外の庭付き一軒家はアメリカンドリームの中核をなし、社会的に成功した者の理想の暮らしとして美しいイメージは世界中に広がりました。ところが世界がアメリカの暮らしに憧れていた1950年代から、すでに郊外に残された専業主婦には恐ろしい孤独が待ち受けていました。20世紀の理想の街、郊外に隠されていた問題とは?21世紀になった今でも、20世紀のパラダイムは刻々と再生産されています。相変わらず郊外の問題が認識されず、開発が進む日本だからこそ知っておきたい厳しい現実。
20世紀郊外には厳しい現実があったとはいえ、郊外はもともと理想の楽園として誕生しました。世界中で脈々と再生産されている郊外のDNAを知り、一度客観的に見つめることは、現在の郊外を立て直したい時に役立ちます。全てのものが分散し、遠く離れ、住宅だけがメインとなっている郊外には、都市とは対局の思想があります。その思想とは一体どんなものだったのか?一度しっかり理解することでこそ、今後の対策もしやすいのではないでしょうか。
21世紀になったというのに、相変わらず20世紀の残り香の中で生き、無意識に20世紀のパラダイムを繰り返している日本社会。それを繰り返したままでいいのでしょうか?20世紀の幸せのパラダイムが、実は人々の本当の幸せではなく、幻想に過ぎなかったとしたら?それを追っていても幸せになれないのはむしろ当然かもしれません。20世紀のパラダイムを見直すために、そのもととなった19世紀イギリス、20世紀のアメリカ消費社会を見つめ、それとは異なる21世紀へと向かっていければと願っています。
ではなぜ郊外にはインフォーマル・パブリック・ライフが欠けているのか?実はそれは偶然ではなく、歴史的必然といってもよいことが研究で明らかになりました。郊外は猥雑な都市とは対局にあり、それと手を切って誕生したからです。19世紀から20世紀にかけて、イギリスやアメリカでは成功者の住む郊外と、見捨てられていく猥雑な都市という対比関係がありました。その関係は今につながる格差社会の原型でもあります。それをこれ以上放っておいたままでいいのでしょうか。
日本のまちづくりがうまくいかない大きな原因として、車社会の見直しをほとんどしてこなかったことが挙げられます。車社会を放っておいたままでは市街地は空洞化する一方で、車社会で一人勝ちするのはモールです。本当に街に活気を取り戻したければ車社会の見直しは避けて通れない課題です。では車社会の具体的に何が問題で、車社会は人々の行動をどう変えて、空洞化がどのようにして起こるのでしょうか。ここではしっかりとそのプロセスを探ります。
ヨーロッパの多くの都市では車社会による生活の質の低下などが問題視され、早いところでは60年代から車社会の見直しが行われていました。特に21世紀になり、気候変動の問題がしっかり認識されるようになって以来、急ピッチで車社会の見直しが進んでいます。では車社会からの脱却には具体的にどのような方法があるのかを本章でご説明します。
では現在さびれている街でも、インフォーマル・パブリック・ライフを生み出すことは可能なのでしょうか。もちろん可能であり、それを可能にするために本書があります。世界中の活気あるエリアには、普遍的に共通する7つのルールがあります。7つのルールをきちんと踏まえ、まずはひとつのエリアに重点をしぼって活性化すれば大丈夫!世界の知見を活かした成功するまちづくりの黄金ルール、基礎をしっかり解説します。
※7つのルールについて、詳しくはこちらをご覧ください。
※本書は現在出版社を探し中です。原稿は95%完成しております。ここなら出版できるかも?というところをご存知の方はぜひお声掛けください。このテーマに関する執筆・セミナーのお問い合わせはこちらからお気軽にどうぞ。