カフェという場はただコーヒーを飲みに行くための場所ではありません。カフェという場は歴史上、様々な芸術運動や思想を形作る舞台となり、社会変革の発端となる場として機能してきました。カフェは、ストレスや問題を抱えた人たちが、誰かと話をすることで問題が自然と解決していく、社会の浄化装置としても機能するのです。そんな場に人が集まることで、独特の雰囲気が生まれ、そこを目指して徐々に人が集まってきます。カフェはサードプレイス、出会いの場、創造の場、社会の浄化装置として機能するだけでなく、人が都市のでリラックスした時を過ごす、インフォーマル・パブリック・ライフの拠点としても機能し、21世紀の成功するまちづくりの鍵となる存在。あたたかいカフェが1軒でも街にあることは、そこから人が、そして街が変わっていく可能性を秘めているのです。
カフェはただ飲み物を飲みに行くための場所ではありません。カフェという場は、居場所を探し求めていた客たちと、あたたかい場をつくる店の主人やスタッフとが絶妙に相互作用しあった時、何かが生まれ、時代を変えうるほどの力をもった場なのです。それが歴史上最も花開いた場所が20世紀初頭のパリのカフェ。リュミエールは、カフェの本質やポテンシャルについて研究・発信しています。
カフェが多い街として知られるパリやウィーンが、芸術の都として有名なのは決して偶然ではありません。また、近年では都市改革の成功例として有名なコペンハーゲン、ポートランド、メルボルンなどは、カフェという文脈でも語られることが多い街。これも単なる偶然ではなく、街を活性化する際に、オープンカフェの存在が非常に重要だからです。人が出会い、自由に自分の意見を話せる場があることは、生きやすい社会を創るために欠かせません。カフェは街の大学として、時に社会変革の場として歴史上機能してきました。そんな場がもっと身近にあればと願う人のために、カフェという場の魅力や、その重要性についてお伝えし、オンラインやリアルで語り合えるカフェ的な場を創っています。
カフェという場の本質、ポテンシャルについて、詳しくは拙著『カフェから時代は創られる』をご覧ください。
「ウィーンやパリのようにカフェに囲まれた街に住む者は幸運である。彼らはたとえその居場所を失ってしまっても、何千とある同様のカフェの中からそれなりにいい場所を選び取ることが可能だからである。場があれば何かが生まれるわけではないにせよ、何かが生まれるためには居続け、語り続けることのできる場が必要である。志があったにせよ、それをわかちあい、ともに切磋琢磨しあえる仲間に出会える場がないのなら、孤独の果てに志まで失われることもある。現在でも芸術の都としてその名を世界に轟かせているパリやウィーンが、カフェに囲まれた街であったというのも決して偶然の一致ではないのだろう。」拙著『カフェから時代は創られる』4章より